初夏を思わせる陽射しのもと、おかげさまで復活節第3主日礼拝を献げることができました。
本日の礼拝メッセージでは、神の愛の統治のしるしとして「預言者ヨナのしるし」以外には何もあたえられない」と説く人の子イエスのことばをみなでともにしました。
「預言者ヨナ」とは排他的な民族宗教として理解していた当時のユダヤ教指導者のあり方を問う『旧約聖書』の『ヨナ書』に登場する預言者です。ヨナはあるときに主なる神から「都市ニネベ」を救えと命じられますが ヨナはその命令から逃げる途上 船に乗っては嵐に遭い激しい波間に投げ出されます。そして巨大な魚に呑み込まれ三日三晩その腹のなかで過ごします。その後ニネベの街に近い岸辺に吐き出され ニネベに暮らす人々に「悔い改め」を説きます。王から奴隷にいたるまでニネベの人々はヨナのことばのとおりにした結果 ニネベは滅びを免れました。この事態に納得のいかないヨナは神に喰ってかかるというユーモアあふれる物語となっています。
なぜヨナは「ニネベの人々の悔い改め」が気に入らなかったのでしょうか。それはニネベに暮らす人々がかつてのヘブライ人の祖国のひとつである「イスラエル王国」を滅ぼし 仲間を虐殺したり凌辱したりして民そのものを地上から消し去ろうとしたからです。
人の子イエスはその物語を通してイスラエルの民の憎しみの垣根を越えて働く主なる神の愛を語り その愛を証しする救い主について語りました。『旧約聖書』にはこのような諸国の民におよぶ神の愛が記されているのにも拘らず その恵みに気づかない指導者の課題を人の子イエスは突きつけました。
今朝はこの「悔い改め」ということばに代えて「生きなおし」とのことばを用いました。わたしたちはときおりさまざまな限界や失敗のなかで他者だけでなく自らを責める場合が多々あります。しかし主なる神はそのときに応じて「生きなおす」チャンスを必ず届けてくださります。そのチャンスを通して拓かれる祝福にあふれた道をともにあゆんでまいりたいと願います。
ゴールデンウィークにあたるため礼拝出席者は数としては少なめでしたがそのぶん礼拝で献げる「執り成しの祈り」には力強さをひときわ感じました。
礼拝後には5月度の「教会の活動を考える会・伝道委員会」を設け 出席者ができる範囲での議題を話しあいました。もちろん5月11日に控えている「父母の日礼拝」の備えも含めての協議もいたしました。
みなさまの新しい一週間 新しい月に主なる神のますますの祝福を祈ります。