現代ではこのような表現をして「父権主義的だ」との指摘もあるかもしれません。けれどもこの箇所で云う「天の父」とは「天のとうちゃん」とも読み取れる語が用いられています。現代先進国よりもはるかに肉体労働に依存した社会 また治安の不安定な時代には父親が早逝した家庭も多かったことでしょう。神を「天のとうちゃん」に重ねるほうがはるかに人々の心に迫る祈りとなったに違いありません。
家族が「ともにちゃぶ台を囲む」よりもそれぞれが好きな時間に食事を摂るようになった今 その絆はかつてより希薄になっています。それだけでなく何十年も部屋に閉じこもり外部との接触を絶ってしまう家族すらわたしたちの身近なところにいる時代です。
もし肩の力を抜いて「とうちゃん」「かあちゃん」と呼べたなら 血のつながりのありやなしやを問わず 新しいあゆみをともに始められるはずです。
主の祈りとはそのような関わりをわたしたちが回復する大切な契機となる祈りです。決して難解な祈祷文ではありません。人の子イエスの伝えた祈りは ピシャリと閉められたわたしたちの心のふすまを少しずつ開くあたたかさに満ちています。
5月の聖日礼拝を終えて 次回からは6月のプログラムが始まります。みなさまに父なる神のますますの祝福が臨みますように祈ります。