2024年11月18日月曜日

2024年11月24日(日) 礼拝 予定

  ―降誕前 第5主日礼拝―

――収穫感謝日礼拝――

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 
 
説教=「誰もが和解する実り」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』 25章31~40 節
(新共同訳 新約 50頁)

讃美= 21-530,506,21-29(544).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

2024年11月17日日曜日

降誕前第6主日礼拝を献げることができました

  おかげさまで降誕前第6主日礼拝を献げることができました。泉北ニュータウン教会では本日コロナ禍以降初めて教会を場にしておにぎり🍙をともにしながらゲームを楽しみ、年齢を問わず楽しい教会バザーの交わりをともにしました。
 

 礼拝前に牧師は教会学校で『ホセア書』を題材として神の愛の激しさと力強さをともに味わい、礼拝後には(福)地球の園の定例理事会を開催して各部の理事のまことに主体的なアイデアを耳にして励まされました。

  そろそろ風も晩秋の雰囲気を湛え、待降節への備えをより堅固にしていく時期ではありますが、全てに先んじるのが「神のユーモア」であり、このユーモアあればこそ主イエス・キリストのご降誕をみなでお祝いできるというものです。
 


  こひつじこども園も放課後等デイサービスこひつじもアドベント・クリスマスのハーモニーにつつまれるシーズンがもうすぐそこまでに迫っています。次回聖日は「収穫感謝記念日礼拝」を献げます。この礼拝は秋の実りを感謝するとともにキリストの身体性を確かめる礼拝に重なります。

 キリストの誕生と復活に連なるものとして、世にあって「義に飢え渇きながら」天に召された兄弟姉妹を覚えて祈りましょう。みなさまの新しい一週間がますます主なる神に祝福されますように祈ります。みなさまぜひ一度わたくしどもの礼拝にお越しください。神の愛の力に励まされますよ。

2024年11月10日日曜日

降誕前第7主日礼拝を献げることができました

おかげさまで降誕前第7主日礼拝を献げることができました。泉北ニュータウン教会ではこの日幼児祝福式が執り行われ、就学前の13名の乳幼児が親御さんともども神さまの祝福を授かりました。お子様方の表情も様々で、賑やかな礼拝となり嬉しく存じました。
 

礼拝前後にはマンスリーバザーを行い、次回聖日に行なう教会バザーへの期待と楽しみを募らせました。

多様化するこどもたちをめぐる環境は大人の目からは決して楽観視ばかりはできませんが、だからこそ将来へ向けた道備えが必要になります。礼拝に集う大人も背中で道を示すことができるようにと祈りました。
 

聖日礼拝後には教会学校で秋の遠足が行われました。毎年この季節には豊かな自然が広がる農園でミカン狩りを楽しんでいます。

ようやく本格的な秋の訪れを感じるようになりました。朝夕の冷え込みも日によっては厳しくなります。みなさまの体調に主なる神の支えがありますように祈ります。新しい一週間に主なる神の恵みが豊かにありますように。

2024年11月17日(日) 礼拝 予定

 ―降誕前 第6主日礼拝―

――謝恩日礼拝――

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 
 

説教=「穏やかでない相手とともに暮らすには」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』5 章 38~48 節
(新共同訳 新約 8頁)

讃美= 21-43-3,Ⅱ 41,21-29(544).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
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礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
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2024年11月3日日曜日

2024年11月10日(日) 礼拝 予定

―降誕前 第7主日礼拝―
――幼児祝福式礼拝――

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 
 

説教=「神の祝福につつまれるこどもたち」
稲山聖修牧師

聖書=『マルコによる福音書』10 章 13 ~ 16 節
(新共同訳 新約 81頁)

讃美= 21-57,461,讃美ファイル 9,21-29(544).



説教要旨・動画、ライブ中継については、
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「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
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降誕前第8主日礼拝、すなわち永眠者記念日礼拝を献げることができました。

おかげさまで本日は降誕前第8主日礼拝、すなわち永眠者記念日礼拝を献げることができました。堺市では昨日までの豪雨がうって変わって雲ひとつない青空が広がりました。そのなかで午前には永眠者記念日礼拝、午後は「教会の活動を考える会・伝道委員会」を経て、堺公園墓地にある泉北ニュータウン教会墓地に集い、墓前礼拝と三名の教会員の納骨式を執行しました。 
 

教会で執行される礼拝の終わりに献げる祝祷という祈りでは、泉北ニュータウンの場合、父なる神の愛、主イエス・キリストの恵み、聖霊の親しき交わりが「天に召された兄弟姉妹のもとに」との文言を加えています。キリストを通して天的存在となった信仰の先達とも、ともに礼拝を献げているとの願いから始めた祈りです。わたしたちは、天に召された家族や大切な人々、そして残念ながら世にあっては和解できなかった人々とも、ともに礼拝を献げております。  午後の教会墓地には西陽が差し込み眩しさのなかでの礼拝を献げましたが、あたかもそれは復活のイエスと出会った女性たちとともにいのちの光を分かちあうかのようでもありました。三名の教会員の納骨式にあたっても、いずれまた会えるとの充分な確信を授けられました。生の無常ではなく、死の終わりを喜び交わりを深めるのがわたしたちの弔いの究極の姿です。
 

いのちの凱旋門としての墓碑がそこには立っています。新しい一週間、いのちの神の祝福がみなさまとともにありますように祈ります。

2024年10月27日日曜日

2024年11月3日(日) 礼拝 予定

 ―降誕前 第8主日礼拝―

――永眠者記念日礼拝――

時間:10時30分~説教=「見えざる墓碑が示すいのちの道」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』23 章 25~34 節
(新共同訳 新約 46頁)

讃美= 21-575,496,21-29(544).

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降誕前第9主日礼拝を献げることができました

本日もおかげさまで降誕前第9主日礼拝を献げることができました。こころより感謝申しあげます。
 

「体を殺しても魂を殺すことのできない者どもをおそれるな」とは本日の聖句の一節です。人の子イエスはこの語に続けて「ローマ総督を恐れるな」ですとか「ローマ皇帝を恐れるな」とは語らず、1アサリオン(現代では100円程度)で食用に販売されていた雀を示して、二羽1アサリオンで販売されている雀でさえ、父なる神の支えで人の手の届かないところを羽ばたいているとの話を引用して弟子を励ましている様子に想いを馳せました。
 

神の愛は社会の上部構造を撃ち破るのではなく、まことに小さなわたしたちの日常を祝福し支えてくださるとのメッセージを聴きとることができます。そのわざがどのように小さくても、また人目につかなくても、神の眼は見逃しません。

「神の愛の証し」というと、つい名声を伴う立派な行いをイメージしがちなわたしたちですが、実はその想いこそがすでに人の尺度によって歪められていると言えます。わたしたちは世間に見せびらかすのではなく、ただただその人のために試行錯誤を繰り返しつつ、何がよいのかと日々思い悩みながらチャレンジするのです。

神の愛の源はすべてのいのちの源であり、その総体はイエス・キリストの十字架と復活にいたるまでの生涯と教えをたどった結果に明らかになります。
 

一昨日から昨日にかけて、 こひつじこども園ではお泊まり保育が行われ、本日は教会を会場にして「たけしろみんなの食堂」が開催されました。こども園に関わる職員の先生方、「たけしろみんなの食堂」を支える方々、「放課後等デイサービス こひつじ」につどうこどもたちと職員の方々に主なる神の恵みがますますそそがれますように。そして新しい月をまたぐこの週を生きるみなさまに、イエス・キリストの導きがありますよう祈ります。今週も恐れず堂々と歩みましょう。

2024年10月20日日曜日

聖霊降臨節第23主日礼拝を献げることができました

おかげさまで、本日は聖霊降臨節第23主日礼拝を献げることができました。本日は『ヨハネによる福音書』3章16節を掲げ特別伝道礼拝を献げました。お招きしたのは福音歌手の安田美穂子さんとピアニストの川島洋一さん。さまざまな讃美歌で礼拝堂をつつんでくださり神の愛に祝福されたいのちの尊さに感じ入りました。
 

歌の合間には安田美穂子さんの証しのメッセージも挟まれ、集う人と深い共感がともにされました。

礼拝後の交わりの会で交流の時を持ちました。礼拝に集った方々と共通する出会いや接点が想像以上に多く、ご本人も驚いておられました。
 

気候はすっかり秋めいてまいりましたが、湿度の高い日々も続きます。どうも人の手には負えない大きな力のなかでこの地球は動いている模様です。悲しむ人や嘆く人とともにあゆみ、変化に富む時代に変わらざるキリストの恵みを示してまいりたく存じます。
 

みなさまの新しい一週間に、主なる神への讃美と喜びがともにありますよう祈ります。

2024年10月27日(日) 礼拝 予定

―降誕前第9主日礼拝―

時間:10時30分~
説教=「すべてのいのちの源である神の愛」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』10 章 28~33 節
(新共同訳 新約 18頁)

讃美= 495,21-404(213),21-24(539)

説教要旨・動画、ライブ中継については、
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なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
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2024年10月13日日曜日

2024年10月20日(日) 礼拝 予定

―聖霊降臨節 第23主日礼拝―

―特別伝道礼拝―

時間:10時30分~

 

説教=「たとえ雨風にさらされても」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』3 章 16 節
(新共同訳 新約 167頁)

讃美= 安田美穂子さん

会衆讃美=312(1 節のみ).Ⅱ 157(1 節のみ),
21 ‐ 24(539)


ライブ中継については、
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礼拝前日の夜までに掲載します。

聖霊降臨節第22主日礼拝を献げることができました

おかげさまで、本日は聖霊降臨節第22主日礼拝を献げることができました。十月の晴れ渡る青空のもと、礼拝に招かれましたことこころより感謝申しあげます。
 

本日は神学校日礼拝。大祭司カイアファによる人の子イエス殺害のはかりごとは、イエス殺害に留まらず、大祭司の考え方を露呈させてしまいます。

その考えとは「個人なき集団への隷従」です。表向き一つの民や国民のために個人のいのちが犠牲にされても止むなしだとの発言の裏には、集団を隠れ蓑にした力ある者の保身の意識がありありと浮かびます。

しかしそのような権力を背景にした殺害の意志に対して、キリストの復活の出来事が立ちはだかりその終わりを告げます。キリストは十字架で殺害された後に復活され「ほかならぬこの人のための奉仕」を大原則とした伝道の力の源となるからです。
 

次週の礼拝は「特別伝道礼拝」として安田美穂子さんをお招きしての讃美礼拝となりますが、安田さんの歌声につつまれて天に召されていかれた教会員がわたしどもの群れにもおられます。

キリストに示された「ほかならぬこの人のため」の奉仕は時を超えてわたしたちに託されている神の愛のわざでもあります。

十月から一二月までの期間は教会の奉仕のわざがますます祝福される時期でもあります。奉仕にあたる方々が疲れないためにもみなで祈り支えてまいりましょう。

みなさまの新しい一週間に主なる神の祝福がますます臨みますよう祈ります。

2024年10月6日日曜日

2024年10月13日(日) 礼拝 予定

  ―聖霊降臨節 第22主日礼拝―

時間:10時30分~

 

説教=「このひとりのために」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』11 章 45~54 節
(新共同訳 新約 190頁)

讃美= 
519,21-520(403),21-24(539)


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聖霊降臨節第21主日礼拝を献げることができました

おかげさまで、本日は聖霊降臨節第21主日礼拝を献げることができました。みなさまのお祈りとお支えに深く感謝申しあげます。
 

『ヨハネによる福音書』では青年ラザロの葬りに姉妹のみならずユダヤの民が深く悲しむなか、人の子イエスも深く憤りつつ興奮して涙を流す様子がリアルに描かれています。この場に記されたイエスは悟りを開いた者としてではなく、弟子たちが浅薄な理解のなか敵視していた人々と涙を流すなかで「涙の共同体」を形成していく様子を窺えるかと存じます。

世界聖餐日・世界宣教日礼拝として本日の礼拝は献げられましたが、世界をあまねく観るのみならず、わたしたちは奥能登の豪雨を始め日常のいたるところで「涙も枯れ果てた」無表情な悲しみに触れ、またわたしたち自らもそのような悲しみをどこかで味わってまいりました。そのような状況でのイエス・キリストの涙は、悲しいときや辛いときには「涙をこぼしてもよいのだ」とのあたたかさを示しているように思います。相手が信頼できる場合にのみ、わたしたちは安心して涙を流せるのです。

その悲しみの涙はやがてはラザロの甦りの出来事のなかで、キリスト自らの復活をさし示す輝きを帯びはじめます。涙を流すことは決して恥ではないのです。キリストはその涙を喜びへと向けていきます。

やがてその涙は神の統治が世に訪れるときには拭われてまいります。その喜びをめざして神の愛を証ししてまいりましょう。
 

礼拝後には役員会が開催され、教会バザーを含めて11月の予定と教会墓地のありかたを始め建設的な議論が交わされました。

晴天のもと行われた、こひつじこども園の「あそBOフェスタ」と土曜保育、放課後等デイサービスに続く聖日礼拝と午後のはなしあいを大切にしていただいた教会員の方々、また礼拝にご出席を賜ったりリモートにてご視聴くださった方々には厚く御礼申しあげます。新しい一週間に主なる神の祝福がますますありますよう祈ります。

2024年9月29日日曜日

2024年10月6日(日) 礼拝 予定

 ―聖霊降臨節 第21主日礼拝―

時間:10時30分~

 

説教=「まことの安らぎのなかで流れる涙」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』11 章 28~37 節
(新共同訳 新約 188 頁)

讃美= 
298,21-529(333),
    讃美ファイル 3, 21-24(539).

説教要旨・動画、ライブ中継については、
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礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
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聖霊降臨節第20主日礼拝を献げることができました

おかげさまで、本日は聖霊降臨節第20主日礼拝を献げることができました。みなさまのお祈りに深く感謝申しあげます。
 

『ヨハネによる福音書』11章1〜16節では、兄弟ラザロの死に慟哭するユダヤの人々と姉妹マルタが描かれ、そしてその報を受けて現地に赴こうとする人の子イエスの姿が記されます。しかし不思議にも弟子たちにはラザロの住まいのあるベタニアは「師であるイエス」を石打ちにしかねない危うい場所として映ります。いや、それだけではなく、その暴力は自分たちにも及ぶとされ、ベタニアへの訪問には誰も乗り気ではありません。そのなかで際立つのが、怯む弟子のなかで唯一「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と気勢をあげるトマスの姿です。
 

ラザロの死と甦りはイエス・キリストの十字架での死と復活の出来事とも関連つけられます。しかしその面が強調されるほど、復活したキリストをトマスが頑なに受け入れなかった態度が浮かびあがります。人間とはこのように裏表のあるものであると見なす、福音書記者たちの人間観のリアリズムを看取できるというものです。イエス・キリストは、そのような表向きの悲壮感に先んじて、ラザロの死を悼むベタニアに暮らす人々の涙をともにされました。この涙の前には殺意も憎しみもすべて力を失います。
 

奥能登地方を襲った局地的な豪雨は、元旦の震災で緩んだ地盤を破壊しました。取材に向かう報道関係者は、被災者の涙をともにしながらの取材に懸命です。絞り出されることば一つひとつが、現地を支援するうえでの貴重な情報となり得るからです。東日本大震災以降、取材するメディア関係者と取材を受ける被災者を隔てる壁がぐんと下がったように思われます。

涙を中心とした共同体は、新たないのちの共同体の可能性をイエス・キリストから授かります。敵味方の別け隔てをも無効化する神の愛の働きがそこには見出せるのではないでしょうか。トマスは今その途上にいます。

新しい一週間がみなさまには主なる神の希望に満ちた時となりますよう祈ります。被災地・紛争地の人々を覚えつつあゆみましょう。

2024年9月22日日曜日

2024年9月29日(日) 礼拝 予定

―聖霊降臨節 第20主日礼拝―

時間:10時30分~

 

説教=「懸命に生きればこそ 必死にあゆめばこそ」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』11 章 1~16 節
(新共同訳 新約 188 頁)

讃美= 21-155(301),512,21-27(541)

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聖霊降臨節第19主日礼拝を献げることができました

おかげさまで聖霊降臨節第19主日礼拝を献げることができました。雨も降る天候でしたが「秋分の日」に礼拝に出席された方々、またリモートワークでご視聴された方々とともに主なる神の恵みを分かちあいました。
 

『ヨハネによる福音書』10章31〜39節が本日の礼拝説教のテキストでした。石を投げようとする人々に対する人の子イエスのことばとして「神々」が用いられている箇所があるところを軸にしたお話でした。その表現が「神に委託された役割を担う人々」を示すとともに、その自覚もなく自らに敵愾心を燃やすエルサレムの祭司長や律法学者の前から去っていく救い主の姿に、論破からも議論からも遠ざかり、敵愾心の裏にある悲しみや傷をひたすら癒そうとされる態度を聴きとり分かちあいました。
 

思えば過ぎにし週には中国の深圳市で日本人学校の児童が殺害されるという悲しみがあり、現在のところでは奥能登地方を襲う豪雨により元旦に起きた震災の被災地にさらに災害が及ぶという、「なぜだ」と神に叫ばずにはおれない出来事が続きました。

その叫びをともにしてくださり、苦しみをともにするイエス・キリストを見つめながら、病床やご自宅で静養に励まれる方々、施設に暮らす方々、 こひつじこども園に連なる園児さんや保護者、職員の方々、放課後等デイサービス こひつじに連なるこどもたちや職員の方々を覚えて主なる神の癒しと支えを祈りました。
 

すべての傷みをつつむ神の愛を示すキリストに委ねて、新しい一週間を始めます。みなさまに主なる神の愛が豊かにそそがれますように祈ります。

2024年9月15日日曜日

2024年9月22日(日) 礼拝 予定

―聖霊降臨節 第19主日礼拝―

 時間:10時30分~


説教=「神の愛はすべての傷みをつつむ」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』10 章 31~39 節
(新共同訳 新約 187 頁)

讃美= 285,21-436(515),21-27(541)

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聖霊降臨節第18主日礼拝を献げることができました

 おかげさまで聖霊降臨節第18主日礼拝を献げることができました。本日は「長寿感謝の日礼拝」。17名の方々に本日は2名が加えられ、さらに2名の方々と主なる神の祝福を分かちあいました。
 

 本日主の深い祝福につつまれたおふたりは敗戦後数年を経た日本の姿を幼い日に見つめ、高度経済成長期の日本のありのままの姿を美化せず生きぬかれた方々でした。多くの犠牲をはらいながら今にいたる激動の世を、十字架と復活のイエス・キリストを見つめて歩まれました。

 今なお世の波風はしずまる気配がありませんが、それでもキリストに示された神の愛を映しだす鏡としてわたしたちは用いられ、交わりを育んでいます。その交わりは地の果てまで拡がってまいります。礼拝後には記念の集合写真を撮影いたしました。
 

 聖日礼拝に先んじて始められましたのは泉北ニュータウン教会に根をおろす「 こひつじこども園」「放課後等デイサービス こひつじ」の職員研修でした。職員の方々もともに礼拝で主の恵みへの感謝の気持ちを分けあい、更なるプログラムに参加しました。五十年以上にわたる保育・福祉のわざに込められた思いは、これからも必ず継承されていくとの確信を新たにいたしました。

 九月もちょうど半ばを迎えましたが、残暑未だに納まらず、台風などの自然災害の傷跡も各地に残ります。みなさまにはくれぐれも主なる神の励ましと癒しとが臨みますように。本日祝福を受けた方々のあゆみがますます恵みにあふれますように。みなさまとともに神への感謝の念をともにしたいと願います。

2024年9月8日日曜日

2024年9月15日(日) 礼拝 予定

   聖霊降臨節 第18主日礼拝― 

時間:10時30分~


説教=「イエスに従ったひつじの群れ」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』10 章 22~30 節
(新共同訳 新約 187 頁)

讃美=  21-475(352),354.2,21-27(541)

説教要旨・動画、ライブ中継については、
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聖霊降臨節第17主日礼拝を献げることができました

おかげさまで聖霊降臨節第17主日礼拝を献げることができました。本日の礼拝では『旧約聖書』『申命記』19章にある「最初の人々が定めた地境を動かしてはならない」をキーワードに、現在世界で起きている国境をめぐる争いに対するイエス・キリストの態度を福音書からくみとり、キリストに示された神の愛による統治の幸いをともにいたしました。
 

礼拝にはウクライナからの避難民のご家族が出席され、故郷の様子とともに、世が神の平和の映し絵となるべく祈りを献げました。

ともに味わった聖句は『申命記』19章14節の「地境を動かすな」でした。地境の勝手な移動はそこに住む人々の暮らしだけでなく言語や文化を損ないかねません。
 

ウクライナの人々は正式な国の名称もはっきりとしないまま、またロシアの人々もどうして戦争が始まったのか分からないままで現状にいたっています。わたしたちとしてはウクライナの人々が望むとおりの国境が定められ平和が訪れるようにと祈るばかりでした。

思えばシベリア抑留の時代に捕虜となった日本人がキーフやハリキウまで連行されながらも、誠意を尽くして建築した建物が無惨にも破壊されています。ウクライナの民の犠牲を思い起こしますと身を切られる思いがいたします。
 

礼拝後にはご家族との交わりの時をもちました。集いはコロナ禍以来最高の盛りあがりを見せ、礼拝への新来会者とともに楽しいひとときを過ごしました。

ウクライナであろうとロシアであろうと堺市であろうと神の平和を待ち望む声は後を絶ちません。神の愛による統治を待ち望む讃美をともにできてまことに喜びに満ちた一日となりました。

主なる神の創造し給う平和が一日も早く実現しますように祈ります。本日の礼拝を覚えながらも出席のかなわなかった方々、今週もまた始まる「 こひつじこども園」「放課後等デイサービス こひつじ」関係者、こどもたち、保護者の方々に主なる神のますますの祝福が臨みますように。関わるすべての方々、神の創造し給うすべてのいのちに主の平安を祈ります。

2024年9月1日日曜日

2024年9月8日(日) 礼拝 予定

   聖霊降臨節 第17主日礼拝― 

時間:10時30分~



説教=「神の地境をまもる者」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』10 章 1~6 節
(新共同訳 新約186頁)

讃美=    461,21-412(234).21-27(541)

説教要旨・動画、ライブ中継については、
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「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
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お願い致します。

聖霊降臨節第16主日礼拝を献げることができました

おかげさまで本日は聖霊降臨節第16主日礼拝を献げることができました。9月始めの聖日礼拝でした。テーマとなる聖句は「あなたたちは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする」でした。
 

『ヨハネによる福音書』で人の子イエスが語る真理についてともに考えました。わたしたちがイエスの教える「真理」を考えるとしても、それは総督ピラトのように「真理とは何か」と問うわけにはいきません。日常から離れた真理を考え続けたとしてもそれは空疎な営みです。わたしたちは人の子イエスの教えを暮らしのなかで根を降ろすべき「真理」として考えます。その真理が断片的だとしても祈りのなかで少しずつその理解を積み重ねるほかありません。神の真理をわがものになどできるはずがないのです。
 

本日は台風10号の影響を受けながらの聖日礼拝でしたが、101年前、1923年の今日は「関東大震災」が起きた一日でした。当時はラジオすらなく被災者はパニックに陥り、震災と火災の犠牲のみならず、在日韓国・朝鮮人や近畿も含めた西日本から被災者救援に駆けつけた人々や事情により東京近圏に身を寄せた方々の多くが虐殺された日々が続きました。(例えば「福田村事件」をお調べください)。

不安が憎しみに転化するならば、学識のあるなしを問わず簡単に他者のいのちを奪える現実を見せつけられた日でもありました。そこに人の子イエスの語る、愛なる神の真理はありません。

わたしたちは日々躓きながらも、神の真理の断片をたどってあゆみを重ねるほかありません。なぜなら神の真理とは他者のいのちを活かす道筋を拓くからです。

断片的に映らない神の真理も、キリストに従いながら神の愛に触れるなかでその実りとして少しずつ授かることとなります。台風で被災された方々、とりわけ能登半島地震に重なり困窮にある方々を主なる神がお支えくださりますように。

みなさまの新しい一週間に、主なる神がともにおられますよう祈ります。

2024年8月26日月曜日

2024年9月1日(日) 礼拝 予定

  聖霊降臨節 第16主日礼拝― 

時間:10時30分~


説教=「風に吹かれてもぶれない根」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』8 章 31~38 節
(新共同訳 新約182頁)

讃美=    85,21-306(Ⅱ.177).21-27(541)

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

2024年8月25日日曜日

聖霊降臨節第15主日礼拝を献げることができました

おかげさまで本日は聖霊降臨節第15主日礼拝を献げることができました。8月最後の聖日礼拝でした。人の子イエスの「わたしは世の光である」との聖句をめぐって、古代ユダヤ教の「仮庵祭(奴隷としてエジプトで虐げを受けた後、神に解放された旅路で天幕に暮らした祝いの記念)」に催された「光の祭儀」と重なる点を強調しました。その解き明かしとともに、朝鮮・韓国の詩人尹東柱先生の紹介をいたしました。
 

1941年11月に記された『序詩』ほか多くの作品はハングルで記されており、それら一連の作品が「治安維持法」違反とされ、京都府警下鴨警察に検挙されました。「いのちつきる日まで天を仰ぎ 一点の恥じることもなきを 木の葉ふるわす風にも わたしはこころを痛めた」。「死ぬ日まで天を仰ぎ」とする詩もありますが、キリスト者詩人でもあった尹東柱は「死の向こう側」にある神のまなざしに自らの祈りを重ねていた可能性もあります。ポツダム宣言受諾のほぼ半年前に福岡刑務所で獄死した尹東柱の作品は死の闇を超えて輝くいのちの光を今も放っています。

79年後の甲子園夏の選抜高校野球大会では京都国際高校が優勝し、公共放送で韓国・朝鮮語の校歌が全国に響きました。尹東柱先生の時代からすれば隔世の感がするとともに、時代の扉が少しずつ開くのだとの感慨を禁じ得ません。
 

本日の礼拝には近隣にお住まいの野球部に属する中学生も出席されました。過ぐる週は教会でのご奉仕を喜びとされた姉妹が天に召されただけにしみじみと沁み渡る『聖書』の箇所となりました。

来週から9月の聖日礼拝を迎えます。さまざまな支えのなかで教会の交わりがますます豊かに育まれることを願います。

みなさまの新しい一週間に主なる神がともにおられますように祈ります。

2024年8月18日日曜日

2024年8月25日(日) 礼拝 予定

 聖霊降臨節 第15主日礼拝― 

時間:10時30分~


説教=「天にいのちの希望を仰ぐ」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』8 章 12~20 節
(新共同訳 新約181頁)

讃美=   21-494(228),Ⅱ 192.Ⅱ.171

説教要旨・動画、ライブ中継については、
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おかげさまで本日は聖霊降臨節第14主日礼拝を献げることができました

 おかげさまで本日は聖霊降臨節第14主日礼拝を献げることができました。8月も半ばを過ぎ、朝晩には夕立や涼やかな風も吹くようになりました。しかしまだまだ日中は厳しい残暑の日差しに汗をかく日々です。
 

 本日の『聖書』のテキストは『ヨハネに夜福音書』8章3節からのエピソード。姦通(不倫)の現場で捕らえられたとされる女性が人の子イエスの前に引き出され、一部の律法学者やファリサイ派の人々が「このような女は石で打ち殺せ」と律法にはあるが、あなたはどう考えるのかと詰め寄る姿が描かれています。
 

 人の子イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女性に石を投げなさい」と答えます。この答えを前にして女性を引き出してきた人々は一人去り二人去り、そして最後には女性がひとりとり残されます。

 古代ユダヤ教の世界では、概して女性は法廷での発言が認められていなかった事情を踏まえますと、万が一この女性が不倫を犯したとしても関わった男性が責めを負うべきです。それにも拘らず女性が引き出されたのは「イエスを試して訴える口実を得る」ためでした。名もない女性のいのちを盾にして律法を冒涜していたのは、人の子イエスに詰め寄った人々でした。
 

 戦後の時代の中、それこそ高度経済成長期から今にいたるまで、家族のなかで様々な不条理に沈黙を強いられる女性がいます。男性の暴力や家族の労苦を一身に背負わされるのは女性やこどもたちである場合が殆どです。沈黙のなかで恐怖に慄く女性は『聖書』の世界に限ったことではありません。伴侶が戦死した後、汗みどろになって家族を支えた女性の声は、喧騒のなかに消えつつあります。

 そのような女性たちを中心に立て、イエス・キリストは新しい共同体を打ち立てようと試みました。思えば復活のイエスの報を伝えたのは女性たちでした。今朝のテキストはその呼び水となっているのかもしれません。

 「女は黙っていろ」「女のくせに」という時代は過ぎ去ろうとしていますが、今なお痛みや労苦に打ちひしがれる方々は数知れません。だからこそ、女性も男性も、等しく神の似姿として創造されたことを思い出したく存じます。

 みなさまの新しい一週間に、いのちを慈しみ、育んでいく主なる神の恵みを祈ります。

※なお本日の週報にある9月29日(日)の予定は削除をお願い申しあげます。お詫びして訂正いたします。

2024年8月11日日曜日

2024年8月18日(日) 礼拝 予定

 聖霊降臨節 第14主日礼拝― 

時間:10時30分~

 
 

説教=「人質にされた女性とイエス」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』8 章 3~11 節
(新共同訳 新約180頁)

讃美=   313,21-505(353),Ⅱ.171

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
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聖霊降臨節第13主日礼拝を献げることができました

おかげさまで聖霊降臨節第13主日礼拝を献げることができました。過ぎにし週には広島・長崎の原爆忌とならび、宮崎県沖日向灘を震源とした地震が起き「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が出されて何とも落ち着かないなかで聖日礼拝を迎えました。それだけに主なる神の賜る平和のありがたさをことのほか感じる一日ともなりました。 
   
さて本日の『聖書』のテキストでは、人の子イエスの教えによって群衆が互いに対立するなか、一部の古代ユダヤ教の指導者が苛立ちを覚える様子が記されます。しかしかつてイエスと語らった指導者層のひとりである人物ニコデモが、あくまでもイエスの言動の正当性を訴える様子を物語の書き手は描きます。憎しみの同調圧力に屈しないニコデモのふるまいは凛としています。憎悪と排除に根ざす集団は容易に解体・分裂する一方で、神の愛の体現者であるイエス・キリストに根ざす交わりの強さをニコデモは証ししてもいます。
 

原爆忌と地震臨時情報を経て、わたしたちは本日あらためて暮らしの根を降ろす場を問われたように思います。マスメディアの報道を受けてさっそく米や飲料水の買い占めが行われている模様です。われ先にと伸ばされる手には冷静さを欠いた他律的な判断が透けて見えます。たとえば能登半島地震の被災者の暮らしの困窮はいずこへかと忘れ去られ、いつのまにかメディアに操られる酩酊の虚しさだけが遺されています。ほんとうにこれでよいのでしょうか。

ニコデモはそのような酩酊に流されなかった人物として描かれているようにも思えます。巨大な自然災害や戦争のなかで、不安や憎しみに駆られた行ないは人命を平然と損なう暴力をもたらします。しかし次の瞬間には互いを告発し責任を転嫁するという疑いと迷いに満ちた孤独な群衆へと変わり果ててしまいます。他者を押しのけようとするあり方から、互いを支えようとするあり方への転換が今こそ求められているように思います。
 

暮らしが危機を迎える「その日・その時」がいつ来るのかは誰にも分かりません。けれどもだからこそ、自らのすべてを神と人とに献げたイエス・キリストとの絆を大事にしながら、備えられる展望に立ちたいと願います。みなさまの新しい一週間が神の平和と知恵に満たされますように祈ります。とくに酷暑のなか、施設で生活されるご高齢の方々、病院やご自宅で療養に励む方々に救い主の癒しと支えがますます備えられますように。