2024年12月29日日曜日

降誕節第1主日礼拝を献げることができました

おかげさまで降誕節第1主日礼拝を献げることができました。はからずも2024年を締めくくる礼拝となりました。
 

『聖書』は『マタイによる福音書』で描かれる、父ヨセフが夢で天使のメッセージを聴いてヘロデ大王の追手から伴侶とみどり児イエスとともに間一髪エジプトへ逃れたとの箇所でした。

直後の福音書の書き手は無慈悲なヘロデ大王の所業を書き記します。則ち二歳以下の男子の虐殺です。一般的な神話や公文書では触れられない大事件に書き手は光をあて、神の前に隠し立てを赦されない人間の暗黒面を刻みます。ローマ・カトリック教会では「幼子殉教者」と記憶します。
 

さてエジプトに逃れたヨセフとその家族ですが、どのように生き延びたのでしょうか。ヨセフの住民登録はベツレヘムにあります。エジプトはローマ帝国の勢力圏ですが、風土も言語も異なります。ことばも異なるヨセフに身分証明書が発行されたわけでなし、家族を養うためにひたすら労役に励んだことでしょう。汗をかき心ない扱いを受けながらヨセフは堪えます。そしておそらくそのなかで「大工」としての職能を体得していったのかもしれません。
 

年の瀬を迎えました。わたしたちは互いに年末を感慨深く迎えられますが、孤独を感じながらの年越しも珍しくありません。そのような時こそヨセフの生き方、マリアの生き方、みどり児イエスの姿を思い出していただきたく願います。インマヌエル(神ともにいます)。これこそ何度も確かめるべきイエス・キリストの称号なのです。


2025年1月5日(日) 礼拝 予定

   ―降誕節第2主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

説教=「イエスの父ヨセフの背中」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』2 章 19~23 節
(新共同訳 新約 3頁)

讃美= 118, 122, 21-24(539)


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

2025年1月1日(水祝) 元旦礼拝 予定

  泉北ニュータウン教会元旦礼拝

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 


説教=「初めに愛があった」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』1 章 1~5 節
(新共同訳 新約 163頁)

讃美=21-260(108), 21-262 (98),21-24(539) 


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

2024年12月22日日曜日

クリスマス礼拝を迎えることができました

おかげさまで今年もクリスマス礼拝を迎えることができました。昨日は冬至を数え夜が最も長い日にあたりましたが、その闇を破るかのような朝日のもと御子イエス・キリストの誕生を祝う礼拝を献げました。
 

昨夜にはクリスマス燭火夕礼拝を献げた後の礼拝でしたので、普段にも増して多くの方々が出席されてこの日を迎えられたのは大きな恵みでした。
 

さてみなさまはクリスマスイヴは12月24日、クリスマスは12月25日だとの固定観念を抱いてはおられないでしょうか。確かに祝日として固定されたクリスマスからすればそのような理解となり、一般的でもあるのですが、教会ではあくまでも聖日礼拝との関わりの中でクリスマス礼拝の日を見極めます。ですので場合によれば今年のように移動聖日という見定めにもなり得ます。これはイエス・キリストの復活を祝うイースターも同様です。イースターは月齢と関わりながら定めてまいりますのでさらに移動がダイナミックになります。

別に百貨店やスーパーで行われるクリスマスイベントが間違いだとは申しませんが、わたしたちはより『聖書』の言葉に誠実であろうとした結果、毎年のようにクリスマスの礼拝を献げる日が変わることとなります。確かにピーアール上は不便かもしれませんがそれでもよいだろうと考えるのです。

思えばヨセフの故郷であるベツレヘムの街道沿いの宿場町では、マリアもみどり児ヨセフも平安を得られませんでした。みどり児イエスは宿場の家畜小屋の飼い葉桶に生まれました。その誕生を具体的に知る者は両親と羊飼い、三人の博士、そして天の御使いをおいて他にはおりませんでした。

このように隠されたところにお生まれになったイエスだからこそ、わたしたちには知られない悲しみや苦しみ、痛みを分かちあう救い主としてのわざに励んでくださったのだと感じ入ります。どのようなところにいても「あなたはひとりではない」と語りかける救い主がお生まれになりました。心より歓びたく存じます。メリー・クリスマス❗️

2024年12月29日(日) 礼拝 予定

 ―降誕節 第1主日礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 


説教=「救い主は逃れの民の中に」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』2 章 13~15 節
(新共同訳 新約  2頁)

讃美= 21-265(114),21-252(119),21-28(545).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

2024年12月16日月曜日

2024年12月21日(土) 夜 クリスマスイヴ燭火礼拝 予定

ークリスマスイヴ燭火礼拝ー

時間:午後7時30分~


 

説教=「天使の観た世界とは」 
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』2章 1~12節

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

2024年12月22日(日) 礼拝 予定

  ―待降節 第4主日礼拝―

――クリスマス礼拝――

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 


説教=「クリスマスのよろこび」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』1章18~25節
(新共同訳 新約  1 頁)

讃美= 99,106,103,讃美ファイル 3,21-28(545).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

2024年12月15日日曜日

待降節第3主日礼拝を献げることができました

おかげさまで待降節第3主日礼拝を献げることができました。朝日の光の射す礼拝堂では、アドベントクランツに整われたろうそくが三本灯されて、いよいよキリストの誕生の祝いを待つ候であると集う人誰もが確信を授かりました。
 

ところで本日の礼拝では、ヘロデ大王の息子アンティパスによって牢獄に繋がれた洗礼者ヨハネが、人の子イエスの噂を耳にして弟子を遣わし「来るべき方はあなたですか?それとも他の方を待たねばなりませんか?」と問いかける『マタイによる福音書』のテキストが共有されました。洗礼者ヨハネは救い主の訪れを確信してはいましたが、それが誰であるかとの問いについては曖昧なままでした。
 

そのような態度の洗礼者ヨハネの弟子に対して人の子イエスは淡々と自らの愛のわざを伝えた後で、「わたしに躓かない人は幸いである」と、自らが洗礼者ヨハネが待ち望むキリストであると語ります。洗礼者ヨハネは後に宴の余興として首を刎ねられますが本日の箇所では自らの本分を全うしたとの充実感さえ感じられました。

思えばクリスマスの物語では故郷ベツレヘムに戻った身重のマリアとヨセフが宿をたらい回しにされたあげく飼い葉桶にみどり子イエスを出産する場面が描かれます。街道沿いの宿場町の宿には渡世人や無宿人、売春婦らがたむろしたとの至極当然の様は記されません。しかしみどり子イエスは誰にも気づかれない家畜小屋で産声をあげました。洗礼者ヨハネが「来るべき方はあなたですか」と問わずにはおれなかったのも無理はありません。

わたしたちの気づかないところ、目を背けたくなるところにみどり子イエスはお生まれになりました。そこにこそわたしたちの活かされる希望が隠されています。
 

昨日は教会と歩みをともにする「こひつじこども園」と年長・年中にあたるこうま組、こやぎ組の園児さんによる礼拝が献げられ、午後には中学3年生までの卒園児生がクリスマスを祝いました。また本日の礼拝ではこども園の職員の方々への癒しとともに、洗礼者ヨハネの祈りに重ねて、刑務所に服役されている方々、その家族、また冤罪で苦しんでいる方々のための執り成しの祈りを献げました。

今週はクリスマス礼拝に向けて教会のはたらきがますます祝福される時となります。お支えくださる方々の健康が支えられますように、クリスマスに世界の教会が世の平和を祈り実現できるよう神の力を授けられますよう祈ります。

師走の多忙な候ですがみなさまのあゆみに主なる神の平和と祝福がますますともにありますように。

2024年12月9日月曜日

2024年12月15日(日) 礼拝 予定

  ―待降節 第3主日礼拝―

――アドベント第3主日礼拝――

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

 
説教=「牢獄から届くクリスマスの讃美の声」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』11 章2~9 節
(新共同訳 新約  19 頁)

讃美= 21-242,Ⅱ49,21-28(545).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

2024年12月8日日曜日

待降節第2主日礼拝を献げることができました

おかげさまで2024年待降節第2主日礼拝を献げることができました。
 

アドベントクランツには二本のろうそくが灯され、救い主の訪れを待ち望む日曜日となりました。
 

教会の直接の活動ではありませんが、教会員に有志が加わっての「たけしろみんなの食堂」という活動が午後には行われました。全国的に行われている「こども食堂」の拡大版としてお考えください。
 

そのために集まった方々の一部が主日礼拝に出席してくださりました。

『聖書』では、故郷ナザレに戻った人の子イエスに村人はその人柄や家族構成ばかりに気を取られるばかり、「救い主」だとは気づかなかった箇所を扱いました。

これを逆に考えれば、わたしたちのすぐ隣にイエスがおられ給うという理解も可能です。救い主の訪れはすぐそこまでに迫っています。

礼拝堂の正面にはクリスマスツリーも整って、イエス・キリストの誕生を今かいまかと心待ちにしています。
 

礼拝での「とりなしの祈り」では先だって西成区あいりん労働福祉センターから追い出されたホームレスの方々お一人おひとりを思い起こしながら教会の祈りが献げられました。

新しい一週間が始まります。救い主イエス・キリストがみなさまとともにあゆまれますよう祈ります。

2024年12月1日日曜日

2024年12月8日(日) 礼拝 予定

 ―待降節 第2主日礼拝―

――アドベント第2主日礼拝――

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

 

説教=「みどり児はキリストとして生まれた」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』13章 53~58 節
(新共同訳 新約  27 頁)

讃美= 96,Ⅱ 119,21-28(545).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

待降節第1節主日礼拝を献げることができました

おかげさまで、2024年も押し迫るなか、待降節第1節主日礼拝を献げることができました。
 

アドベントクランツには第1のろうそくが灯され、救い主の訪れを待ち望む日曜日となりました。
 

教会では大掃除の後、役員会がもたれました。新年も展望に入れながら、ますます祝福されるこの月のプランを練りました。

過ぐる週には決して喜べない戦争や火災の知らせなどがありましたが、一つひとつは重大案件ながらも、そのような悲しみに勝る救い主の誕生を待ち望む日曜日となりました。

人の情念はやがて過ぎ去りますが、飼い葉桶の救い主の喜びはわたしたちの悲しみを癒し、喜びを全地に告げ知らせます。

主なる神はみどり子の姿をとって、みなさまの隣におられます。この主こそイエス・キリストです。

嘆き迷うたびに飼い葉桶に安らう主イエス・キリストの姿を想い起こしましょう。その姿こそが新しい希望となりわたしたちを導きます。新しい一週間、主なる神がみなさまとともにおられますように祈ります。

2024年11月24日日曜日

2024年12月1日(日) 礼拝 予定

 ―待降節 第1主日礼拝―

――アドベント第1主日礼拝――

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

 
説教=「目覚めの時が来た」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』 24 章 36~44 節
(新共同訳 新約 48頁)

讃美= 94,Ⅱ 112,21-28(545).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

降誕前第5主日礼拝を献げることができました

おかげさまで降誕前第5主日礼拝を献げることができました。本日は収穫感謝の日礼拝でもありました。
 

収穫感謝の日礼拝とは、爾来英国のピューリタンたちがメイフラワー号という船に乗り、北米の東海岸に到着するも飢饉と疫病に苛まれ、見かねたネイティヴアメリカンに助けられた記念として教会では語り継がれてきました。日本の教会はアメリカ宣教団の影響が強く、そのような習慣も定着したのかもしれません。しかし現在では多方面からの検証が行われて、そのように助けてくれたネイティヴアメリカンへの弾圧もまた問われているのが現状です。ただしだからといって助けの手を差し伸べてくれた先住民の気持ちは決して否定されはいたしません。
 

わたしたちの身の回りには、このようにドラマティックではないながらも、そのわざを「一粒の麦」に喩えられる方々もおられます。教会やこども園、放課後等デイサービスで奉仕にあたる職員の方々の労、また大阪市あいりん地区・通称「釜ヶ崎」で地域医療に励みながら、いのちを奪われてしまった内科医の働きもまた存じています。事件の後、同じように働いていた人々から「存じません、知りません」とそのわざを幾度否定されても、神の前での種蒔きは着実に実を結び、十五年後の今日にいたります。

礼拝で献げられた収穫の実りは、おもに生活上人一倍暮らしを切り詰めなくてはならない方々のために用いられます。平安仏教でいう餓鬼道のような独占ではなく、イエスが五千人の名もない人に食を分かち合った分かちあいの喜びを尊びたく存じます。

新しい一週間、主なる神の祝福がみなさまとともにありますように祈ります。みなさまもともにキリストの福音を分かちあってはいかがでしょうか。日曜日にはどうぞ教会にお越しください。

2024年11月18日月曜日

2024年11月24日(日) 礼拝 予定

  ―降誕前 第5主日礼拝―

――収穫感謝日礼拝――

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 
 
説教=「誰もが和解する実り」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』 25章31~40 節
(新共同訳 新約 50頁)

讃美= 21-530,506,21-29(544).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

2024年11月17日日曜日

降誕前第6主日礼拝を献げることができました

  おかげさまで降誕前第6主日礼拝を献げることができました。泉北ニュータウン教会では本日コロナ禍以降初めて教会を場にしておにぎり🍙をともにしながらゲームを楽しみ、年齢を問わず楽しい教会バザーの交わりをともにしました。
 

 礼拝前に牧師は教会学校で『ホセア書』を題材として神の愛の激しさと力強さをともに味わい、礼拝後には(福)地球の園の定例理事会を開催して各部の理事のまことに主体的なアイデアを耳にして励まされました。

  そろそろ風も晩秋の雰囲気を湛え、待降節への備えをより堅固にしていく時期ではありますが、全てに先んじるのが「神のユーモア」であり、このユーモアあればこそ主イエス・キリストのご降誕をみなでお祝いできるというものです。
 


  こひつじこども園も放課後等デイサービスこひつじもアドベント・クリスマスのハーモニーにつつまれるシーズンがもうすぐそこまでに迫っています。次回聖日は「収穫感謝記念日礼拝」を献げます。この礼拝は秋の実りを感謝するとともにキリストの身体性を確かめる礼拝に重なります。

 キリストの誕生と復活に連なるものとして、世にあって「義に飢え渇きながら」天に召された兄弟姉妹を覚えて祈りましょう。みなさまの新しい一週間がますます主なる神に祝福されますように祈ります。みなさまぜひ一度わたくしどもの礼拝にお越しください。神の愛の力に励まされますよ。

2024年11月10日日曜日

降誕前第7主日礼拝を献げることができました

おかげさまで降誕前第7主日礼拝を献げることができました。泉北ニュータウン教会ではこの日幼児祝福式が執り行われ、就学前の13名の乳幼児が親御さんともども神さまの祝福を授かりました。お子様方の表情も様々で、賑やかな礼拝となり嬉しく存じました。
 

礼拝前後にはマンスリーバザーを行い、次回聖日に行なう教会バザーへの期待と楽しみを募らせました。

多様化するこどもたちをめぐる環境は大人の目からは決して楽観視ばかりはできませんが、だからこそ将来へ向けた道備えが必要になります。礼拝に集う大人も背中で道を示すことができるようにと祈りました。
 

聖日礼拝後には教会学校で秋の遠足が行われました。毎年この季節には豊かな自然が広がる農園でミカン狩りを楽しんでいます。

ようやく本格的な秋の訪れを感じるようになりました。朝夕の冷え込みも日によっては厳しくなります。みなさまの体調に主なる神の支えがありますように祈ります。新しい一週間に主なる神の恵みが豊かにありますように。

2024年11月17日(日) 礼拝 予定

 ―降誕前 第6主日礼拝―

――謝恩日礼拝――

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 
 

説教=「穏やかでない相手とともに暮らすには」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』5 章 38~48 節
(新共同訳 新約 8頁)

讃美= 21-43-3,Ⅱ 41,21-29(544).


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

2024年11月3日日曜日

2024年11月10日(日) 礼拝 予定

―降誕前 第7主日礼拝―
――幼児祝福式礼拝――

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 
 

説教=「神の祝福につつまれるこどもたち」
稲山聖修牧師

聖書=『マルコによる福音書』10 章 13 ~ 16 節
(新共同訳 新約 81頁)

讃美= 21-57,461,讃美ファイル 9,21-29(544).



説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

降誕前第8主日礼拝、すなわち永眠者記念日礼拝を献げることができました。

おかげさまで本日は降誕前第8主日礼拝、すなわち永眠者記念日礼拝を献げることができました。堺市では昨日までの豪雨がうって変わって雲ひとつない青空が広がりました。そのなかで午前には永眠者記念日礼拝、午後は「教会の活動を考える会・伝道委員会」を経て、堺公園墓地にある泉北ニュータウン教会墓地に集い、墓前礼拝と三名の教会員の納骨式を執行しました。 
 

教会で執行される礼拝の終わりに献げる祝祷という祈りでは、泉北ニュータウンの場合、父なる神の愛、主イエス・キリストの恵み、聖霊の親しき交わりが「天に召された兄弟姉妹のもとに」との文言を加えています。キリストを通して天的存在となった信仰の先達とも、ともに礼拝を献げているとの願いから始めた祈りです。わたしたちは、天に召された家族や大切な人々、そして残念ながら世にあっては和解できなかった人々とも、ともに礼拝を献げております。  午後の教会墓地には西陽が差し込み眩しさのなかでの礼拝を献げましたが、あたかもそれは復活のイエスと出会った女性たちとともにいのちの光を分かちあうかのようでもありました。三名の教会員の納骨式にあたっても、いずれまた会えるとの充分な確信を授けられました。生の無常ではなく、死の終わりを喜び交わりを深めるのがわたしたちの弔いの究極の姿です。
 

いのちの凱旋門としての墓碑がそこには立っています。新しい一週間、いのちの神の祝福がみなさまとともにありますように祈ります。

2024年10月27日日曜日

2024年11月3日(日) 礼拝 予定

 ―降誕前 第8主日礼拝―

――永眠者記念日礼拝――

時間:10時30分~説教=「見えざる墓碑が示すいのちの道」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』23 章 25~34 節
(新共同訳 新約 46頁)

讃美= 21-575,496,21-29(544).

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

降誕前第9主日礼拝を献げることができました

本日もおかげさまで降誕前第9主日礼拝を献げることができました。こころより感謝申しあげます。
 

「体を殺しても魂を殺すことのできない者どもをおそれるな」とは本日の聖句の一節です。人の子イエスはこの語に続けて「ローマ総督を恐れるな」ですとか「ローマ皇帝を恐れるな」とは語らず、1アサリオン(現代では100円程度)で食用に販売されていた雀を示して、二羽1アサリオンで販売されている雀でさえ、父なる神の支えで人の手の届かないところを羽ばたいているとの話を引用して弟子を励ましている様子に想いを馳せました。
 

神の愛は社会の上部構造を撃ち破るのではなく、まことに小さなわたしたちの日常を祝福し支えてくださるとのメッセージを聴きとることができます。そのわざがどのように小さくても、また人目につかなくても、神の眼は見逃しません。

「神の愛の証し」というと、つい名声を伴う立派な行いをイメージしがちなわたしたちですが、実はその想いこそがすでに人の尺度によって歪められていると言えます。わたしたちは世間に見せびらかすのではなく、ただただその人のために試行錯誤を繰り返しつつ、何がよいのかと日々思い悩みながらチャレンジするのです。

神の愛の源はすべてのいのちの源であり、その総体はイエス・キリストの十字架と復活にいたるまでの生涯と教えをたどった結果に明らかになります。
 

一昨日から昨日にかけて、 こひつじこども園ではお泊まり保育が行われ、本日は教会を会場にして「たけしろみんなの食堂」が開催されました。こども園に関わる職員の先生方、「たけしろみんなの食堂」を支える方々、「放課後等デイサービス こひつじ」につどうこどもたちと職員の方々に主なる神の恵みがますますそそがれますように。そして新しい月をまたぐこの週を生きるみなさまに、イエス・キリストの導きがありますよう祈ります。今週も恐れず堂々と歩みましょう。

2024年10月20日日曜日

聖霊降臨節第23主日礼拝を献げることができました

おかげさまで、本日は聖霊降臨節第23主日礼拝を献げることができました。本日は『ヨハネによる福音書』3章16節を掲げ特別伝道礼拝を献げました。お招きしたのは福音歌手の安田美穂子さんとピアニストの川島洋一さん。さまざまな讃美歌で礼拝堂をつつんでくださり神の愛に祝福されたいのちの尊さに感じ入りました。
 

歌の合間には安田美穂子さんの証しのメッセージも挟まれ、集う人と深い共感がともにされました。

礼拝後の交わりの会で交流の時を持ちました。礼拝に集った方々と共通する出会いや接点が想像以上に多く、ご本人も驚いておられました。
 

気候はすっかり秋めいてまいりましたが、湿度の高い日々も続きます。どうも人の手には負えない大きな力のなかでこの地球は動いている模様です。悲しむ人や嘆く人とともにあゆみ、変化に富む時代に変わらざるキリストの恵みを示してまいりたく存じます。
 

みなさまの新しい一週間に、主なる神への讃美と喜びがともにありますよう祈ります。

2024年10月27日(日) 礼拝 予定

―降誕前第9主日礼拝―

時間:10時30分~
説教=「すべてのいのちの源である神の愛」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』10 章 28~33 節
(新共同訳 新約 18頁)

讃美= 495,21-404(213),21-24(539)

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

2024年10月13日日曜日

2024年10月20日(日) 礼拝 予定

―聖霊降臨節 第23主日礼拝―

―特別伝道礼拝―

時間:10時30分~

 

説教=「たとえ雨風にさらされても」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』3 章 16 節
(新共同訳 新約 167頁)

讃美= 安田美穂子さん

会衆讃美=312(1 節のみ).Ⅱ 157(1 節のみ),
21 ‐ 24(539)


ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

聖霊降臨節第22主日礼拝を献げることができました

おかげさまで、本日は聖霊降臨節第22主日礼拝を献げることができました。十月の晴れ渡る青空のもと、礼拝に招かれましたことこころより感謝申しあげます。
 

本日は神学校日礼拝。大祭司カイアファによる人の子イエス殺害のはかりごとは、イエス殺害に留まらず、大祭司の考え方を露呈させてしまいます。

その考えとは「個人なき集団への隷従」です。表向き一つの民や国民のために個人のいのちが犠牲にされても止むなしだとの発言の裏には、集団を隠れ蓑にした力ある者の保身の意識がありありと浮かびます。

しかしそのような権力を背景にした殺害の意志に対して、キリストの復活の出来事が立ちはだかりその終わりを告げます。キリストは十字架で殺害された後に復活され「ほかならぬこの人のための奉仕」を大原則とした伝道の力の源となるからです。
 

次週の礼拝は「特別伝道礼拝」として安田美穂子さんをお招きしての讃美礼拝となりますが、安田さんの歌声につつまれて天に召されていかれた教会員がわたしどもの群れにもおられます。

キリストに示された「ほかならぬこの人のため」の奉仕は時を超えてわたしたちに託されている神の愛のわざでもあります。

十月から一二月までの期間は教会の奉仕のわざがますます祝福される時期でもあります。奉仕にあたる方々が疲れないためにもみなで祈り支えてまいりましょう。

みなさまの新しい一週間に主なる神の祝福がますます臨みますよう祈ります。

2024年10月6日日曜日

2024年10月13日(日) 礼拝 予定

  ―聖霊降臨節 第22主日礼拝―

時間:10時30分~

 

説教=「このひとりのために」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』11 章 45~54 節
(新共同訳 新約 190頁)

讃美= 
519,21-520(403),21-24(539)


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

聖霊降臨節第21主日礼拝を献げることができました

おかげさまで、本日は聖霊降臨節第21主日礼拝を献げることができました。みなさまのお祈りとお支えに深く感謝申しあげます。
 

『ヨハネによる福音書』では青年ラザロの葬りに姉妹のみならずユダヤの民が深く悲しむなか、人の子イエスも深く憤りつつ興奮して涙を流す様子がリアルに描かれています。この場に記されたイエスは悟りを開いた者としてではなく、弟子たちが浅薄な理解のなか敵視していた人々と涙を流すなかで「涙の共同体」を形成していく様子を窺えるかと存じます。

世界聖餐日・世界宣教日礼拝として本日の礼拝は献げられましたが、世界をあまねく観るのみならず、わたしたちは奥能登の豪雨を始め日常のいたるところで「涙も枯れ果てた」無表情な悲しみに触れ、またわたしたち自らもそのような悲しみをどこかで味わってまいりました。そのような状況でのイエス・キリストの涙は、悲しいときや辛いときには「涙をこぼしてもよいのだ」とのあたたかさを示しているように思います。相手が信頼できる場合にのみ、わたしたちは安心して涙を流せるのです。

その悲しみの涙はやがてはラザロの甦りの出来事のなかで、キリスト自らの復活をさし示す輝きを帯びはじめます。涙を流すことは決して恥ではないのです。キリストはその涙を喜びへと向けていきます。

やがてその涙は神の統治が世に訪れるときには拭われてまいります。その喜びをめざして神の愛を証ししてまいりましょう。
 

礼拝後には役員会が開催され、教会バザーを含めて11月の予定と教会墓地のありかたを始め建設的な議論が交わされました。

晴天のもと行われた、こひつじこども園の「あそBOフェスタ」と土曜保育、放課後等デイサービスに続く聖日礼拝と午後のはなしあいを大切にしていただいた教会員の方々、また礼拝にご出席を賜ったりリモートにてご視聴くださった方々には厚く御礼申しあげます。新しい一週間に主なる神の祝福がますますありますよう祈ります。

2024年9月29日日曜日

2024年10月6日(日) 礼拝 予定

 ―聖霊降臨節 第21主日礼拝―

時間:10時30分~

 

説教=「まことの安らぎのなかで流れる涙」
稲山聖修牧師

聖書=『ヨハネによる福音書』11 章 28~37 節
(新共同訳 新約 188 頁)

讃美= 
298,21-529(333),
    讃美ファイル 3, 21-24(539).

説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

聖霊降臨節第20主日礼拝を献げることができました

おかげさまで、本日は聖霊降臨節第20主日礼拝を献げることができました。みなさまのお祈りに深く感謝申しあげます。
 

『ヨハネによる福音書』11章1〜16節では、兄弟ラザロの死に慟哭するユダヤの人々と姉妹マルタが描かれ、そしてその報を受けて現地に赴こうとする人の子イエスの姿が記されます。しかし不思議にも弟子たちにはラザロの住まいのあるベタニアは「師であるイエス」を石打ちにしかねない危うい場所として映ります。いや、それだけではなく、その暴力は自分たちにも及ぶとされ、ベタニアへの訪問には誰も乗り気ではありません。そのなかで際立つのが、怯む弟子のなかで唯一「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と気勢をあげるトマスの姿です。
 

ラザロの死と甦りはイエス・キリストの十字架での死と復活の出来事とも関連つけられます。しかしその面が強調されるほど、復活したキリストをトマスが頑なに受け入れなかった態度が浮かびあがります。人間とはこのように裏表のあるものであると見なす、福音書記者たちの人間観のリアリズムを看取できるというものです。イエス・キリストは、そのような表向きの悲壮感に先んじて、ラザロの死を悼むベタニアに暮らす人々の涙をともにされました。この涙の前には殺意も憎しみもすべて力を失います。
 

奥能登地方を襲った局地的な豪雨は、元旦の震災で緩んだ地盤を破壊しました。取材に向かう報道関係者は、被災者の涙をともにしながらの取材に懸命です。絞り出されることば一つひとつが、現地を支援するうえでの貴重な情報となり得るからです。東日本大震災以降、取材するメディア関係者と取材を受ける被災者を隔てる壁がぐんと下がったように思われます。

涙を中心とした共同体は、新たないのちの共同体の可能性をイエス・キリストから授かります。敵味方の別け隔てをも無効化する神の愛の働きがそこには見出せるのではないでしょうか。トマスは今その途上にいます。

新しい一週間がみなさまには主なる神の希望に満ちた時となりますよう祈ります。被災地・紛争地の人々を覚えつつあゆみましょう。