2025年6月9日月曜日

2025年6月15日(日) 礼拝 予定

 ―聖霊降臨節 第2主日礼拝―


時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「イエスは必ず生きづらさを分かちあう」
稲山聖修牧師

聖書=『マタイによる福音書』11 章25~30 節
(新約20頁)

讃美=21-351(66),Ⅱ.191,21-26.


説教要旨・動画、ライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

なお、ライブ中継がご覧になれない場合は、
説教動画の方をご覧頂きます様、
お願い致します。

2025年6月8日日曜日

ペンテコステ礼拝をこどもの日・花の日礼拝と重ねてお祝いしました

おかげさまで聖霊降臨節第1主日礼拝、すなわちペンテコステ礼拝をこどもの日・花の日礼拝と重ねてお祝いしました。礼拝堂には教会員・教会関係者とならんで、こども園の職員の先生方・園児さんや保護者の方々もお越しくださり、今働く神の愛の力である聖霊がキリストを通してわたしたちに注がれている喜びを確かめました。
 

「神」や「イエス・キリスト」に較べて「聖霊」とはわたしたちに馴染みの薄いことばです。しかしこの聖霊なくしてキリストとわたしたちとの関わりや大切な人々との愛に満ちた交わりを語るのは『聖書』では困難です。

聖霊はしばしば「風」に重ねられます。人が設けた壁や境界をなぎ倒し あらゆる人々との胸ときめく出会いを創造する神の力です。人にとって重要な多様性を尊ぶ交わりは この聖霊のわざなしには考えられないと『聖書』は語ります。
 

大切な関わりは目にこそ見えませんが だからこそ人にとって不可欠な「思いやり」や「誰かを慈しむ気持ち」は疎かにはできません。聖霊とは現代人に求められる関係概念でもあるのです。

礼拝ではこども園職員による創意工夫に満ちたプログラムが展開し 出席したこどもたちの笑い声にあふれました。きっとイエス・キリストの周りにも こどもたちの笑顔が絶えなかったことでしょう。
 

礼拝後には教会学校を中心にして日ごろからお世話になっている公共施設・社会福祉施設に感謝のお花をお届けしました。

今週から本格的に梅雨を迎えるとのことです。みなさまのお身体が主なる神に支えられますます祝福されますように祈ります。


2025年6月1日日曜日

2025年6月8日(日) 礼拝 予定

―聖霊降臨節 第1主日礼拝―

―子どもの日(花の日)ペンテコステ礼拝―

時間:10時30分~

場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂 

  

説教=「神様の愛に背中を押されて」 
稲山聖修牧師

聖書=『使徒言行録』2 章1~4 節 
(新約214 頁)

讃美=(改)こどもさんびか106,
「ワワワいっしょに」,21ー81,
(改)こどもさんびか114.


当日の礼拝のライブ中継については、
教会ホームーページの
「今週の礼拝説教」のコーナーに、
礼拝前日の夜までに掲載します。

復活節第7主日礼拝を迎えることができました

おかげさまで復活節第7主日礼拝を迎えることができました。西方教会の教会暦ではキリストの昇天日となります。
 

しばしば誤解を受けるのはわたしたちが生涯をまっとうした「召天」と復活後のキリスト自ら天に昇られた「昇天」です。召天と昇天との間には根本的に異なる質があります。

それはキリストが天に昇られる折に弟子を筆頭に世のすべてを祝福されたとの理由によります。本来ならば何ら祝福されるいわれのない弟子を含めてやぶれに満ちた世を祝福されたところに本日の聖書箇所、すなわち『ルカによる福音書』の真骨頂があります。
 

祝福に値する世であればキリストは祝福する必要はないでしょう。しかし世界を見渡せば混乱のなかで苦しみ悲しむこどもたちや病に罹患した人、貧困に苦しむ人は後を絶ちません。

その世界はキリストの祝福により前をむき神の希望を授かり、たがいに支えあう希望と交わりを育みます。いかなる姿であってもその祝福の実りは変わりません。その多様性にわたしたちは驚嘆せずにはおれません。
 

来週には「聖霊降臨節」を控えます。わたしたちの日常と世界を結ぶ神の愛のわざを確かめる聖日礼拝となります。この期間わたしたちは貧困に苦しむ人 不治の病に苦しむ人 こころの病に苛まれる人 ウクライナやパレスチナで苦しむこどもたち 南米やアフリカでレアメタル掘削のために奴隷のように扱われるこどもたちを覚えて祈りましょう。神の平和はまさしくその人たちのためにあるからです。

新しい月を迎えます。新しい週を迎えます。みなさまに主なる神の祝福がますます豊かに臨みますように祈ります。