2021年6月27日日曜日

2021年7月4日(日) 礼拝予定

-聖霊降臨節第7主日礼拝-


時間:10時30分~


説教:「神が約束を果たすとき」
稲山聖修牧師

聖書:マタイによる福音書7章1~14節(新約聖書11頁)

讃美:240(1,3), 392(1,4), 二編171.

今週の集会は休会します。

聖霊降臨節第6主日礼拝を、対面式で執行できました。

栄光在天

みなさまのお祈りのおかげで 聖霊降臨節第6主日礼拝を執行できました。ありがとうございました。

第三次緊急事態宣言は解除され、ほぼ二ヶ月ぶりの礼拝を対面式で献げられ、礼拝出席者だけでなく中継礼拝で参加されたみなさまとも喜びを分かちあえたのは何よりでした。

ライブ中継礼拝は、このような感じで行っています。

ワクチン接種が進む一方で かつてインド型と呼ばれたデルタ株コロナウイルスが流行の兆しを見せつつあります。対面式礼拝でも讃美歌はお気持ちで讃美しつつ静かに神さまの恵みを分かち合うこととしました。

二ヶ月ぶりに再会できた方々もいれば、さまざまな課題や不安の中での礼拝を余儀なくされている方々が、身近なところだけではなく、全国の諸教会におられることでしょう。世界規模となればこれはなおのことかと拝察します。

コロナ禍を単なる災害やパンデミックばかりでなく、神さまからの「時の徴」として何が問われているのかを祈り求めていかなくてはと痛切に感じました。

みなさまの新たな一週間に、神さまがともにいてくださるよう、イエス・キリストの名によって祈ります。

主にありて

2021年6月22日火曜日

6月27日(日)より聖日礼拝を再開いたします。

時間:10時30分~
場所:泉北ニュータウン教会礼拝堂
説教:「神の忍耐は英知をもたらす」
稲山聖修牧師

聖書: 『マタイによる福音書』6章24〜34節
(新約聖書10頁)

讃美歌:310(1.2),495(1.3),頌 栄543

2021年6月20日日曜日

6月20日(日) 礼拝を献げました。

主の御名を讃美します。

6月も最終週に近づき、野に咲く花に蝶の舞う候となりました。生きとし生けるものみなこぞって主なる神をほめ讃えています。

本日末をもって第三次緊急事態宣言が解除され、2021年度の教会のあゆみにも節目が訪れます。4月から6月までの二ヶ月、教会の交わりや礼拝のありかたが問われた期間でもありました。

新型感染症対策の緊急事態宣言を要する機会は今回限りではないとの厳粛な気持ちを秘めながら、いかにして困難な状況下に礼拝を献げる道筋を整えるべきかとの問いを牧師は自らに突きつけています。

たとえ中継形式であるにせよ、礼拝に癒される方々に出会うにつけ、教会がキリストの枝であると痛感しました。いのちの尊さはわたしたち自らが定めるのではなく、神から授かるものとの思いを強めました。

コロナ禍は時の徴。苦難の中でわたしたちはキリストの謙遜を知り、キリストに従うものとされます。主なる神の耕しを受けて、豊かに実を結びたいと願います。

みなさまの新しい一週間に、イエス・キリストがともにおられますように。

主の平安

2021年6月13日日曜日

聖霊降臨節第4主日礼拝を献げられました

みなさまの尊いお祈りのお陰で 本日は聖霊降臨節第4主日礼拝を献げられました。本来ならば「花の日・こどもの日礼拝」を献げるところ、コロナ禍の折にて中継礼拝のみといたしました。
聖書の箇所は『マタイによる福音書』でも有名な「地の塩・世の光」の箇所。とくに「塩」が神を讃えるための尊いわざに重ねられるところはいつ味わっても新鮮です。

当時、地中海を囲む地域で大切にされた岩塩は 今日でいう塩化ナトリウムの結晶体ではありませんでした。さまざまなミネラルや不純物とともに掘り出されたせいか、放置されれば劣化したり風化したりして、塩気を失うことがあり得たとのこと。当時と今日の食卓の異なりを感じずにはおれませんでした。

また、塩は健康や衛生・保存に役立つだけでなく、兵器としても用いられました。古代ローマ帝国では、徹底抗戦する民の土地に塩をすき込んで、麦をはじめ農業を台無しにするという策をも講じました。第一次産業を根絶やしにされた民は、ローマ帝国に恭順の意を表するほかに道はありませんでした。

しかし。神の愛によって大地の恵みとして備えられた地の塩は、自らを溶かし無にしてまで人々のよき味を引きだします。主なる神の謙虚さとともに、新しい一週間を始めましょう。

主にありて

2021年6月6日日曜日

聖霊降臨節第3主日の聖日礼拝をお献げできました。

栄光在天

みなさまのお祈りのおかげで 本日は聖霊降臨節第3主日の聖日礼拝をお献げできました。厚く御礼申しあげます。

緊急事態宣言延長下の聖日礼拝も二ヶ月を超えるところとなり、この間在宅礼拝を軸にリモート礼拝の執行を心がけてまいりました。

ただ、これほど在宅礼拝が長期にわたりますと、新型感染症とは異なる理由での体調不良やご病気に悩む教会関係者のお話も耳にするようになりました。

現状での教会の舵取りには繊細さが求められますが、それにしても新型感染症対策が別のトリアージにつながりはしないかと憂うるところです。

罪人たる人間の善意はそのままではキリストの証しとしての隣人愛には繋がりません。絶えざる祈りの中での大胆な決断が求められるときがあります。

すべての人に尊敬されようとするならば、それは身のほどを弁えない傲慢さであると言わずにはおれません。何よりもそのような批判は牧師にこそ向けられなくてはなりません。

主にある大胆さを秘めつつも、キリストに従いながら教会員の方々の求める道を尋ねたく存じます。

みなさまの新しい一週間が、神さまにますます祝福されて、平安に満ちたものとなりますように。

主にありて