2021年3月21日日曜日

受難節第5主日礼拝を献げました。

主なる神を讃えます。

宮城県沿岸部に起きた地震に 東日本大震災の記憶を重ねた夜が明けて迎えた日曜日。受難節第5主日礼拝を献げました。
聖書の箇所はイエスの二人の弟子の母親が、息子たちの将来に口を挟むことにより、弟子の交わりに亀裂が生じるという物語でした。

わたしたちの心根に巣食う、他人を蹴落としてでもわが子のためにという情念は、母親の愛情が加わるほどにいっそう激しさを増すとの言葉を教会の交わりの中で聞きました。

牧師には子が授からなかったこともあり、実に説得力をもってその言葉は響きました。
キリストはその素朴で激しい願いに向き合いながら「偉くなりたい者は仕える者となれ、一番上になりたい者は、皆のしもべになれ」と諭します。

聖書の物語の中で、人は傲慢さをその身から拭うことはできません。他方で神の御子キリストは、自らを奴隷の姿に身をやつして人々に仕えました。その苦しみは十字架での叫びに示されています。本来なら人々から忘れ去られていくはずの姿がそこにはあります。

キリストの復活のときを待ちながら、わたしたちは過ぎにし2020年度を振り返ります。新型感染症だけでなく、自然災害や政治や社会の混乱の中でうめき声をあげずにはおれませんでした。

だからこそキリストに従うあゆみを忘れずに、自らが絶えずどん底にいるとの認識を大切にいたしたく存じます。
これ以上落ちようのない底の中で、キリストは救いのわざを完徹されるからです。奴隷に身をやつされたキリストには、わたしたちとともにおられる神の姿がありありと浮かびます。

みなさまの新しい1週間が神様に豊かに祝福されますように。新年度への備えが平安のうちに整いますように祈ります。