2024年3月10日日曜日

受難節第4主日礼拝を献げることができました

 おかげさまで受難節第4主日礼拝を献げることができました。啓蟄を過ぎた候の朝 若いウグイスのたどたどしい歌声を聞きながらの礼拝となりました。
 

  本日は2時間で10万人が実に残虐かつ不本意な仕方で天に召された、民間人の大虐殺とも言うべき東京大空襲から79年、そして明日の東日本大震災13年を覚えて、日毎の祈りに加えてさらに言葉を刻みました。
 

  東京大空襲の作戦を立案・指揮したカーチス・ルメイという軍人はB29から機銃を取り外し、積めるだけの焼夷弾を東京の下町に降らせるという恐るべき「効率的」な軍人でしたが、戦後日本政府から最高位の勲章を受位されてもいます。ナチスのアイヒマンにしても米軍のルメイにしても人間の持つ残虐性を効率化し得た人でしたが、片やエルサレムの裁判で処刑され、片や東京で叙勲されました。
 

 『ヨハネによる福音書』の「ナルドの香油」の箇所はそのような人間の残虐さもまた善意の名のもとに行われうること、そしてイエス・キリストの前では、譬え無駄であるとされたとしてもすべてが祝福されるという「効率化」とは正反対の極みに立つというメッセージをも放っています。マリアがイエスにそそいだナルドの香油の香りは、確かに目利きのイスカリオテのユダにはとてつもない無駄に思えたことでしょう。しかしイエスはその香りにつつまれながら「わたしの葬りの日のためにそれをとっておいてくれた」と語ります。本来ならば十字架刑に処せられた死刑囚はそのまま放置されて鳥獣の貪るところとなりますが、ナルドの香油はイエス・キリストの生涯が死に留まらないと示していたのです。

 本来ならどこか不完全さを抱えている人間の考える「効率性」や「完全性」はどこかに破れを抱えています。その破れは「想定外」との言葉では決して正当化されません。この厳粛な事実を忘れたときに、人はあらゆる罪悪を「神なき善意」のもと実に効率的にやってのけてしまいます。

 教会は新年度の備えにあたり、人間の「非効率性」「無駄なところ」こそイエス・キリストに祝福されているとの前提に立ちながら、新たなあゆみを興していきたいと強く願うものです。コロナ禍を経て弱くもされた教会の交わりに、神の備え給う奇跡の麦の種が一粒隠されているとしたら、わたしたちはいかに受けとめるべきでしょうか。いのちとはわたしたちの両手からこぼれて余りあるほどの恵みに満ちあふれています。みなさまの新しい一週間に主なる神がともにおられますよう祈ります。